「隣の人の英語と人生」カテゴリーアーカイブ

英語を使う現場で活躍する人たちの声

言語は生き物ですから常に変化します

さとう みゆき(Miyuki Sato)さん (フリージャーナリスト)
 
1970年千葉県生まれ。 95年に渡米し、サンディエゴ州立大学でジャーナリズムを専攻。
経済新聞社、マーケティング会社勤務を経て、現在はジャーナリストとして日本語と英語で記事を執筆。
また、国際的なマーケティング業務にも従事している。
共著に「写真で覚えるビジネス英語」シリーズがある。ロサンゼルス近郊のオレンジカウンティ在住。

【学科ではなく、言語としての英語】


英語は特に好きではありませんでした。でも高校2年生の時、友達が通っている英会話スクールの話を聞いて「なんだか楽しそう」と思い、私も通ってみることにしました。そこで初めて学校の科目としてではなく、言語としての英語というものに触れ、外国語を話すことの面白さに気づいたのだと思います。

そのスクールでは世界のさまざまな英語圏から来た講師が教えていて、彼らを通じて知る外国はとても興味深いものでした。英語が理解できれば未知の世界を知ることができる、より多くの人と交流を持てるということを、その頃から意識し始めるようになりました。

【いつか必ず戻ってくる】

海外に行ってみたいという気持ちが次第に強くなり、大学3年の時に短期留学しました。行先はロサンゼルス郊外にあるライトウッド(Wrightwood)という小さな街。ホームステイをしながらESLに1ヵ月通いました。英語は必要最低限の話がなんとかできるようになった程度ですが、アメリカという国を目で見て肌で感じたことが大きく、とても意義のある留学でした。

というのも、アメリカから帰国する時、「このままでは終われない」という気持ちが芽生え、「いつか必ず戻ってこよう」と自分に誓ったのです。留学は楽しかったけれど、外国語でのコミュニケーションは一朝一夕で実現できるものではなく、まだまだ努力が必要だと痛感しました。このまま中途半端に終わるのではなく、自信が持てるようになるまで英語を勉強しようと思ったのです。

【再び渡米】

日本で大学を卒業し、就職して3年後に留学のため再び渡米しました。留学の目的は単なる英語の上達ではなく、アメリカでジャーナリズムを学ぶことでした。その時私は、報道を自分のプロフェッションにしたいと考えていて、そのための訓練を受けること、より多くの人にインタビューできるように英語を磨くことが必要だと思ったのです。

ジャーナリズム学科での毎日は悲惨でした(笑)英語はおそらく小学生レベルという私にとって、取材をしたり、記事を書いたり、ラジオのレポーターをしたりという課題は、苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。ひどい文章を書いてクラスメートの冷笑を買ったことも、一度や二度ではありません。それでも、荒療治を受けるうちに英語も少しずつ追いつき、夏休みには地元の新聞社でインターンとして働かせてもらいました。生まれて初めての署名入り記事は英語で書いたのです。今見ると恥ずかしいほど拙い内容ですが、今でもこの記事は大切に取ってあります。

【スキルをどう生かすか】

大学卒業後、日本に戻って再就職するつもりでしたが、たまたまロサンゼルスで就職先が見つかり、せっかくのチャンスだから働いてみることにしました。その後、やはりロサンゼルスの別の会社に転職しましたが、2001年にフリーランスとして独立し、今に至ります。

フリーになったのは、日本語と英語の両方で執筆していきたいと思ったからです。大学と仕事を通じて、私は2つの言語で取材し、執筆するというスキルを得ました。それを自分の強みとしてもっと伸ばしていこうと思ったのです。その後、英語学習本の製作にも携わるようになり、2009年に共著「写真で覚えるビジネス英語」(中経出版)を出版する機会に恵まれました。

英語を学んだことによって、たくさんの人と関わることができ、さまざまな体験をし、素晴らしい仕事をさせていただいていると思います。もちろん、本を出したからといって自分の英語が完璧だとは思いませんし、言語は生き物ですから常に変化します。これからも、自分にとって重要なコミュニケーションツールである英語、そして日本語を大切にしていきたいです。

明確な目標があり、それを達成するために、英語を一生懸命勉強した

Nさん (国際会計事務所)

東京生まれ
大学卒業後、アルバイトをしながら、税理士資格取得。
会計事務所に就職する前に、ロンドンで6ヶ月英語を勉強。
現在、国際会計事務所勤務。


現在の職業と英語

現在、私は某国際会計事務所の税務部門で働いています。具体的には、日本企業が海外の企業を買収する場合や海外の企業が日本の企業を買収する場合の税務に関するコンサルティング業務を行っています。外国人クライアントや海外の提携事務所とは頻繁に英語でメール(時には電話)でやり取りをしますし、英語でレポートを書く機会も多いので、英語を使わない日はありません。深夜残業することも少なくはないので大変ですが、新聞に大きく載るような案件もあり、やりがいを感じています。

英語との出会い

私が最初に英語に触れたのは、中学1年生の英語の授業だったと思います。
中学生の時は、英語の勉強が好きだったし、たくさん勉強しました。 なぜ好きになったかはよく覚えていませんが、とにかく英語をたくさん勉強したことだけは覚えています。寝るために布団へ入ったら、単語帳を開き、単語や例文を覚えながら寝ていました。その成果もあって、英語の成績は一番よかったです。

なぜ、英語をよく勉強したかというと、
(1)将来海外へ留学したいと思っていたこと(日本にずっといることは井の中の蛙だと思っていました)
(2)志望の大学付属高校に合格する(高校3年間スポーツに没頭して、全国大会を目指す!)
という目標があったからだと思います。
つまり、明確な目標があり、それを達成するために、英語を一生懸命勉強したのだと思います。
余談ですが、海外へ留学したいと思ったこと、及び大学付属高校へ入学して、大学受験を気にせずに、スポーツへ没頭したいと思ったのは、7つ上の兄のようになりたかったためだったと思います。
なお、中学卒業後は、志望の大学付属高校へ入学し、ラグビー部に入部して、3年間ラグビーに没頭しました。したがって、高校時代の英語の勉強は試験前の1週間のみでした(笑)。 大学に入っても、サークル活動、アルバイト、税理士試験の勉強のため、英語の勉強はほとんどしませんでした。

ロンドン留学

税理士試験の一部科目合格の後、念願の語学留学(ロンドン6ヶ月)をしました。なぜ、イギリスを選んだかというと、イギリスのスポーツ文化に触れてみたかったからです。
留学してからすぐに、語学学校の先生に頼んで、地元のサッカークラブを紹介してもらいました。そこで、毎週土曜日にイギリス人と一緒にサッカーを楽しんでいました。イギリスは紳士の国だと思っていたのに、イギリス人はサッカーの試合中、審判に文句ばっかり言っていたことには驚きました。
ロンドンでは、「より多くの人と英語を話す」という目標を掲げながら英語を勉強していました。(リスニング、文法の勉強は日本の自宅にいてもできますからね。) 幸い私は人見知りしない性格だったので、授業が終わった後に、クラスメイトを誘ってよく飲みに行って、たくさん英語を話しました。語学学校の授業よりも、この飲みながら英語を話したことのほうが、スピーキングスキル向上につながったかもしれません(笑)。
なお、いまだ英語の勉強中である私が言うのもおこがましいのですが、スピーキングスキル上達のこつは、「Don’t be afraid of making mistakes!」だと思います。 文法が間違ってていても全然気にする必要はなく、授業中や、日常生活において、とにかくどんどん英語を話すことが重要だと思います。日本人の傾向として、自分が英語を話して、相手が分からなかった場合には、自分が悪いと感じる人が多いと思います。しかし、私のイタリア人クラスメイトは、すごいイタリアなまりの英語で話しかけてきて、私が分からない顔をすると、どうしてお前は俺の英語を理解できないのだ!と逆切れしてきたこともありました(笑)。 これくらいの心構えで英語をどんどん話すことが上達のこつだと思います。

バックパック一つで海外一人旅


ロンドン留学中も、就職した後も、よくバックパック一つで一人旅をしました。 ヨーロッパはもちろん、アジア(中国ウイグル自治区、ウズベキスタン、パキスタン、キルギス、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス)にも行きました。これらのどの国へ行っても英語を話せる人がホテル、街中にはいますので、現地の言葉がわからなくても、楽しい時間を過ごせます。ヨーロッパを一人旅した時は、たいてい、ユースホステルに泊まったので、そこで知り合ったバックパッカーと市内観光をすることもありました。キルギスでは、ホテルのバイトの学生に頼んで、休みの日に市内を案内してもらいましたし、カンボジア(アンコールワット)では、たまたま知り合った現地学生にアンコールワットを丸二日間案内してもらったり・・・・・・・このようなことが楽しめるのは、英語がある程度できるからだと思います。

英語を勉強してよかったと思うこと

(1)視野が広くなったこと
英語が話せると、いろいろな価値観を持った人間を知ることができます。また、留学生活や海外旅行を通じて多くの異文化を体験することができました。その結果、月並みな表現ですが、視野が広がったと思います。日本では考えられないような発言、行動をする人と行動を共にすること、異文化で生活すること等により、他人の考えを受け入れる人間としての器も以前よりは大きくなった(まだまだ小さいですが)のではないかと思います。
(2)将来の可能性が広がること
英語が話せると、必然的にやりたいことの選択肢が増えると思います。たとえば、私の例ですと、税理士にもいろいろと専門分野がありますが、その中で国際的な事務所でグローバルに跨る仕事がしたいと思ったことも、ある程度英語ができたからだと思います。
(3)海外旅行を楽しめます
上記で説明したような、ツアー旅行では楽しめないような海外旅行ができます。

最後に

英語というのは単なるコミュニケーションツールです。 したがって、英語の勉強自体も大事ですが、英語を使って何をしたいのか、ということのほうがより大事だと思います。 英語ができなくても、人生をエンジョイできますが、英語ができた方がより人生をエンジョイできる可能性があると、私は確信を持って言えます。
 

おまけ:旅行先等で外国人に言われた印象的な言葉等
(1)ベネゼエラ人に、「何で日本人は戦争でアメリカに負けたのにアメリカの事が好きなのか、全く信じられない」と言われた事。
(2)ウイグル自治区の市場で知り合った若者に、「私は山本五十六を尊敬しています。」といわれた事。
(3)ウズベキスタンとカザフスタンの国境(陸路)で、パスポートを見せたら、「ナカータ、ナカータ!」と言って、
パスポートの中身を見ずに、国境を越えさせてくれた事。
(4)韓国人に、「日本の天皇とその家族は税金で裕福な暮らしをしているが、それについて、文句はないのか?」と言われた事。

人生のあらゆる場面において制約がないこと=自由であること 

Y.T.さん (タクシー会社運営)

広島県出身。アメリカのNew Jersey州にあるモントクレア州立大学経営学部経営情報システム学科を卒業。
帰国し、外資系のITコンサルティング会社で6年間、国内のインターネット会社でSEとして3年間働いた後、
現在は奥さんの実家が経営するタクシー会社の運営に携わっている。

私が最初に本格的に英語を学びたい、話せるようになりたいと思ったのは、高校2年の夏、アメリカから来た留学生の女の子とカタコトで会話をしたのがきっかけでした。中学時代と合わせ、それまでの4年半で学んだことがどれだけ通用するのか、いわば腕試しのつもりで自分から話しかけたのです。話した内容は全く他愛のないものでしたが、地球の反対からやって来た、外見も言葉も全く異なる友人とのコミュニケーションは非常に刺激に満ちたものでした。

その後高校を卒業し、アルバイトで貯めたお金でアメリカへ留学しました。4年間の大学生活で経験したことの価値は計り知れません。異文化の土地での冒険に満ちた生活、世界各国から来ている留学生との交流、議論への積極的な参加が求められる授業など、それこそ挙げ出すとキリがないのですが、その中でも特に今も重宝しているのが、これらの体験の中で身につけた英語の力です。

『英語によるコミュニケーションが苦にならない』という感覚。これは持っておくに越したことはありません。なぜなら、英語が話せるという自信は、そのままその人の人生の自由度を拡げることに繋がるからです。

まず、就職先を選ぶにあたっては、世界中のあらゆるグローバル企業が視野に入ってきます。日系の会社に入った場合でも、どこの国ともやり合えるということで仕事に幅が出ます。海外旅行も、どこでも躊躇することなく行き先が選べます。恋人や結婚相手だって、日本人に限らず相性のいい人が見つかるかも知れません。

人生のあらゆる場面において制約がないこと=自由であること。これほど素晴らしいものはないと思います。語学力を身につけるということは、その自由を手に入れることに他なりません。お金があればある程度自由な人生が送れますが、語学力で得られる自由はお金で買うことが出来ません。それほど貴重なものなのです

さらに最後に付け加えるならば、そのようにして得たグローバルな視点や、多種多様な価値観に触れることで得られる自分自身の人間的な成長こそ、語学力を通して得られる最大の効用と言えるでしょう。

一流の物に触れて、本物を知るべきです。

英語と人生

Y. M. さん(特定非営利活動法人にて文化指導、公文式教室の英語スタッフ)


芦屋大学付属高等学校の国際文化科を卒業後、渡米し、English Language School(ELS)を経て
Chapman Universityに入学。その後、Moorpark Collegeへ編入し、中退して帰国。

金剛流能道、裏千家茶道、太極拳などを学び、現在も日本舞踊、鼓、琴の稽古をしている。
地域の子供達に、礼儀作法や踊りを指導し英語を教えている。 

 私は通っていた高校の影響によって、人生を大きく変えることが出来たと思います。 そこでの友達はもちろん、担任の先生、そして、外国人の先生方との出会いがあり、私はアメリカへの留学を決意しました。学校のカリキュラムにより、1年生ではNew ZealandHawaii、2年生ではアメリカの東海岸(Washington D.C. New York, Canada)3年生ではCanadaへ研修旅行に行きました。また、スピーチ コンテストやModel U.N.(全国の高校生が京都に集い、担当する国の政策や方針を事前に調査し、あるテーマについて、それぞれの国として議論していくのですが、すべて英語で進行されます。正に国連宛らの集いです)に参加しました。

 学校にはネイティブスピーカーのアメリカ人やオーストラリア人、イギリス人など5~6人の教師が常任されていて、週に14時間の英語の授業を受けてきました。月に一度の土曜日には、英語しか話さない日を設けており、その日は学年やグループごとに外国人教師と触れ合います。国際文化科は少人数であったため、アットホームな環境で英語が習得できたのは、私にとって、とても大きかったことです。卒業してからも、外国人の先生には留学中の相談に乗ってもらい、助けられたことを今でも感謝しています。

 日本でそのような英語の経験を積んできても、やはり私の生まれ育った環境は日本です。そして、外国人教師たちも日本に住んでいて、日本人のための学校に勤務しています。つまり、彼らは私を日本人として意識し、日本の仕組みの中でコミュニケーションをとっていました。そのため、私がアメリカに行ったときに困ったのは、やはり英語でのやりとりでした。初めてのホームステイでホストファミリーと話をするのに、とても戸惑ったことを憶えています。見ず知らずの家族と生活を共にするということに緊張するのもあって、いまいち一線を越えてのお付き合いができませんでした。

 英語のみならず、外国語を話すということは、その人の国の文化や背景と共に学ばなければ、心からの意思疎通は難しいのだと思います。例えば、ピアノを弾く時や踊りを踊る時と同じです。ショパンの曲を、いくら正確に譜面どおりに弾いたとしても、ただ弾くだけでは聴く人には伝わりません。彼がいつ、どんな場面で何を想いながら創ったのかを知らなければ、旋律の意味をなさないと思います。また、宗教的背景にも重点をおかなければならないのは、英語を習う時も同じだと思います。なぜなら、彼らは、その影響を受けた教育で育ち、それをベースに話すからです。

 日本舞踊を踊る時も同じです。物語を知った上で踊るのはもちろん、振りの意味も考えて踊らなければ、まったく見ている人には通じないのです。ただ単に扇を開くだけではだめなのです。扇を色んな物に見立てて表現しなければなりません。英語で “GOD”(神)と一言で表したとしても、人それぞれで意味が違うのです。 

 また、何かを学ぶ時に共通して言えることは、一流の物に触れて、本物を知るべきです。そうすることによって、話がどこでも通じるようになるのです。

私は今、日本で文化活動をしています。特定非営利活動法人に所属し、子育て支援や国際交流、団塊世代を含めた三世代交流など、イベントを通じて日本の伝統文化を広める活動を行い、地域社会に密着しながらよりよい街づくりを目指しています。そして、それと同時に、日本舞踊や鼓、琴の稽古をしながら、地域の幼稚園から小・中学生の子供たちに礼儀作法や踊りを教え、その子供たちが世界でも適応できるように英語を指導しています。

 そんな私のこれからの夢は、異文化交流という場で、世界の様々なジャンルで活躍する方々に、この移り行く社会の中でもしっかりと生きてきている日本文化を伝え、「文化の輸出入」をしていくことです。