「隣の人の英語と人生」カテゴリーアーカイブ

英語を使う現場で活躍する人たちの声

英語と共に世界の海を巡りたい

Keikoさん (ダイビングインストラクター)

神戸に生まれ、幼少時代は父親の仕事の都合で日本各地を点々とする。 日本で大学卒業後、オーストラリア留学をし、英語とツーリズムを学ぶ。 2005年、ワーキングホリデー制度を利用し、カナダへ。

ナイアガラフォールズ、ウィスラーの日系旅行会社にてツアーガイドとして働く。 2007年、ワーキングホリデー制度を再度利用し、オーストラリアへ。 グレートバリアリーフの海に魅せられ、ダイビングインストラクターとして現地ショップで働く。2009年現在、帰国し、世界中の海を制覇するため、次の渡航先を検討中。

~衝撃の出会い~

「英語がペラペラな人になる」

そう誓ったのは、小学5年生の頃、テレビで英語を流暢に話す女性を見たときでした。 単純に「かっこいい!」、そう感じたのがきっかけです。

それから私の《英語ペラペラ計画》が始まりました。
まずは母親に頼んで、2つ上の姉が通っていた英語塾に行き始めます。
そこでは、中学校で使用している教科書を使って、会話よりもアカデミックな授業が主体でした。
DOG=犬、CAT=猫のような易しい英単語を覚えたり、「Hollow」や「How are you?」のような中1の初期レベルのものです。
今思えば、何らオモシロイ授業ではありませんが、私にとってはすべてが新鮮で、とても楽しかったのです。 クラスの中では結構覚えがよかった私は「すごい、すごい」とおだてられるがままに、その気になり、ますます英語を好きになっていきました。

中学入学当初、私にとっては英語は簡単に感じました。 当たり前ですよね、すでに塾で勉強していたのですから。 そのため、中学時代の英語の成績はなかなかのものでした。 自分で言うのもなんですが。

 

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~挫折・・・でも諦めない!~

高校に進学すると学校英語のレベルがぐーんと上がります。 正直、難しすぎて何度も嫌いになりかけました。 多くの人が英語拒否症になるポイントですよね。

高校2年生の夏休みに、短期ホームステイ語学研修プログラムに参加しました。
初めての海外体験にドキドキ・ワクワク。
意気揚々と乗り込んだものの、少しばかり英語に自信を持っていた私の鼻っ柱は一瞬にしてへし折られました。
何ひとつ話すことができないんです。 多少相手の言っていることは判るものの、言葉が出てきません! 
「YES YES NO ・・・」の繰り返しです。

この時、学校で学んできた英語がいかに実用的でなかったかを痛感しました。 いわゆる大学受験のための試験英語を学習していても通用しないんです。

初めての挫折感を味わいました。 と同時に俄然やる気も沸いてきました。
「絶対に喋れるようになってやる!」
その頃から地元の英会話スクールにも通い始めました。

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~努力あるのみ~

英語が話せる人の中には、「全然努力なんてしてないよ。 海外で外国人と一緒に遊んでたら自然に喋れるようになったんだよね。」という人もいます。
羨ましい限りです。

しかし、私からしてみれば、「語学習得なんてそんなに簡単なものじゃない!」。
個人差はあるのでしょうが、私はそう思います。

日本の大学を卒業後、私は遂に念願だったオーストラリア留学を果たすことになります。
そこでは死にもの狂いでした。 現地の学生と一緒に英語で専門分野を勉強するわけですから、宿題もテストもプレゼンテーションも勿論全て英語です。
人生の中で一番頑張った時期だと思いますよ。 結構辛かったですから。

しかし、その分、私の英語力は飛躍的に伸びたと思います。 努力は人を裏切らないのです。

 

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~努力の賜物~

努力の甲斐もあって、ペラペラとまではいかないまでも、ある程度の英語を身に付けることができ、目の前の世界がドーンと広がりました。
英語が全てではないですが、コミュニケーションを取れることで有利に働くことは大いにあります。不利になることは…思いつきませんね。

私は今までに、カナダではツアーガイドとして、オーストラリアではレストランで、東京ではイギリスの銀行の支店やホテルで働いた経験があります。
このような仕事に就くことができたのは、英語ができるからこそで、素晴らしい体験だと思っています。

こんな仕事に就きたいけれど、英語ができないからなぁといって諦めるのは残念なことですよね。

 

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~世界中が自分の舞台~

様々な場所で、いろいろな仕事を経験してきた私ですが、現在はダイビング業界に身を置いています。
以前はオーストラリア・グレートバリアリーフの海で、愉快な仲間たちと共に働いていました。
お客様はオーストラリア人をはじめ、全世界各国、日本からのお客様もいらっしゃいました。

「ダイビング」を仕事にしようと考えたのは、ダイビングや海が好きだからというのは勿論のこと、世界中の海を仕事場にすることができると考えたからでした。
英語が出来なかったら、こんな発想さえ思いつかなかっでしょう。
私にとって、英語を使えることはものすごく価値のあることなのだなぁと最近つくづく感じています。
さあ、次は世界のどこの海で働こうかなぁ~、とまだまだ夢は広がるばかりです。

 

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~英語は楽しい♪~

英語嫌いな人って多いですよね。
「英語=難しい」っていう縮図です。
確かに英語の習得って難しいと思いますよ。
なぜなら、日本で育ったのですから。
母国語でない者が完璧に外国語を習得するのは無理なんじゃないかと私は思っています。
だから完璧に習得する必要はないんです。
理解ができて、コミュニケーションが取れれば問題ないんです。

まずは英語を楽しむことです。

私は英語を勉強するために参考書などをたくさん買いあさりましたが、最後までやり終えた本が果たしてあったのでしょうか。 きっとないでしょうね。

今になってかなり有効だったと思う勉強方法があります。
「フレンズ」から学ぶことです。
「フレンズ」とはアメリカの人気コメディードラマのことです。
見れば見るほどおもしろくて、その度に英語が聞き取れるようになってくるのが嬉しくて、何度も繰り返し同じシリーズを見ました。
セリフを覚えてしまうくらい、何度も見ましたね。
ある時、そのセリフが自分の口から会話の途中で出てきたりするんですよ。

実際に、繰り返し「聞く」ということは、語学習得においてとても重要なことだそうです。

私の場合、ニュースだと難しくて長続きません。
映画も非現実的すぎて、しかも2時間という長さに飽きてしまいます。

勉強と思わず、単純に興味のあることを楽しんじゃいましょう。

新しい世界が広がること、違いなしです!

Good luck & Enjoy yourself.

 

もっと色んな人と出会って話がしたいという気持ちが強かったのです


F. M.さん (客室乗務員) 

高3年生の時、アメリカ、ミズーリ州の高校へ編入。
1年留学した後、日本へ帰国し、関西学院大学 総合政策学部 総合政策学科を卒業。
大手航空会社に入社し、客室乗務員として4年半活躍。
現在は退職し、一児の母。

私が英語を勉強し始めたのは、皆と同じで、中学校に入学してからです。 ただし、旅行好きな両親だったので、小さい頃から海外に行く機会が多く、英語を聞く機会は多かったかもしれません。 姉が留学していたこともあって、私も中学2年生の冬にニュージーランド に2週間、語学研修に行ったけれど、日本人のグループ10人程で参加したので殆ど意味が無かったと思っています。もちろん、英語は全く上達せずに帰って来ましたし。 

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そして、そのまま高校に進学して、特に何も考えずに生活していましたが、このままでは私が何の夢も持たず、将来の幅が広がらないだろう、と両親が苦慮して、アメリカに留学する事を薦めてきました。 私自身も生活を変えたかったのもあって 、高校3年生の夏から1年間の留学を決意しました。 周りの同級生より日本の高校の卒業が1年遅れるけれど、そんな事よりも大事な経験だと思い決断しました。 今となっては、私の人生を変える第一歩だったと思っています。 助言をくれた両親に感謝!

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特に英語の成績が良かった訳でも無いのに、いきなりアメリカの高校に編入したから、そりゃあもう大変でした。 英語が全く分らず、授業について行くどころの話ではありませんでした。 最初に私がしたのは、授業をテープレコーダーで録音して、家に帰って何度も聞きなおすことです。 それを毎日繰り返して耳を慣らしていき、その科目や授業でよく使う単語や 言い回しを学んでいきました。 早く頭の中を英語で一杯にする為に、頻繁にある学校行事には、必ず参加しました。それから日本への電話は1年間1度もしませんでした。

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聞き取りが出来るようになってからは、人の話を聞くのが楽しくて仕方なくなりました。 そして、次の課題は自分の気持ちをどう表現するかでした。 会話の中で相手が使っていた単語や言い回しを真似して回答していくと、ドンドン話が盛り上がっていき、充実感でいっぱいになっていきました。

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いつの間にか、英語を使う方が、自分の本当の気持ちをストレートに表現したり、自分らしく振舞える様になっていきました。 日本語には無い微妙なニュアンスを表現するにはぴったりな言語だと気づきました。 そして、英語を多少なりとも自由に使えるようになったら、今度は英語を使って他の分野の勉強をしたくなり、大学では国際関係や国際政策を学びました。

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大学在学中は休みの都度、旅に出ました。 英語を身に付けた事は自分の自信にも繋がっていたので、怖さは全くありませんでした。 むしろ、もっと色んな人と出会って話がしたいという気持ちが強かったのです。 そうして、今までに35カ国を旅し、色んな国の人と接して、価値観の違いや文化の違いを肌で感じてきました。 そうする事で偏見を持たずにどんな人とでも仲良くなることができましたし、自分の意見を常に持つことができました。

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英語力は就職活動の時にも大いに役立ちました。 筆記試験だけでなく英会話での面接も多数あったのですが、難なくパスすることができ、英語をツールに今までの経験を活かしたいと願っていた私は、色んな業種で内定を頂く事が出来ました。 その時初めて、英語力とそれを通して獲た様々な知識や経験が自分の未来の幅を広げたのだと気づきました。

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最終的に私は客室乗務員の道を選びました。 1日で多い時には、2000人ものお客様に出会う刺激的な日々を送っていました。 日本人のお客様には、今まで自分が経験した事や知識を活かして、日本の方が望み好む、最高のサービスを提供する様に努力し、外国人のお客様とは、英語を使って観光のアドバイスや、その方の出身国の話で盛り上がり、旅の良い思い出作りが出来る様に努力してきました。 今までの海外での多くの経験が、日本人の特性を見つける良い機会にもなりましたし、人種によっての傾向もある程度分っていたので、非常に役に立ちました。

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最後に、一言。
もっと早く英語の大切さに気づいていれば、より多くの人に出会うことができて、より沢山の刺激があっただろうと思います。 だから今、私は1歳8ヶ月の息子に少しでも早く英語に慣れてもらおうと、英語で話しかけたり英語の絵本を読んだり、触れ合う機会を作ってます。

皆さんも、できるだけ早く、英語の大切さに気づき、生の英語に触れ、自分の可能性を広げることができればと、心より思っております。

皆さんも、可能であれば様々なことにチャレンジしてほしいと思う

大澤真史(Masafumi Osawa)さん (キッズスイミングコーチ兼フィットネスインストラクター)

20歳でカリフォルニア州サンタモニカへ語学留学し、帰国後、スポーツクラブでインストラクターとして働く。
25歳の時にワーキングホリデーにてオーストラリアへ。 8ヶ月のオーストラリア生活を終えて帰国し、現在はキッズスイミングコーチ兼フィットネスインストラクターとして活躍中。

~英語との出会い~

中学生で、はじめて英語と出会った。 英語と出会ったというよりも、学校の授業として始まった。 そして、成績のために、高校入学のために勉強しなければならなかった。 

勉強は本当につまらなかった。 将来使うとも考えていなかった英語、勉強する意味も分からなかったし、したいという気持ちも沸いてこなかった。 中学3年間はテスト前にしか勉強しなかった。

高校でも、英語嫌いは治らなかった。 しかも、さらに英語に対する拒否反応が大きくなっていった。 英語を見たり、聞いたりすることすらも嫌になっていた。 授業中はボーっとしてるか寝ているか。 テストの成績も下から数えた方が早いくらいだった。 嫌いだから勉強しない、勉強しないから成績が悪い、だからもっと嫌いになる。 そんな完全な悪循環だった。

中学・高校と合計で6年間も英語に触れてきたけれど、英語を勉強していて楽しいと感じたことは1度も無かった。 英語は苦痛そのものだった。

しかし、その英語嫌いな僕にもアメリカで勉強したいという夢があった...

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~アメリカと英語~

僕は小さい頃からスポーツが、特に野球が大好きだった。

中学に入ると、将来スポーツの勉強をしに、スポーツ大国アメリカに行きたいと思うようになった。 高校に入ってからも、その夢は続いた。 しかし、この時点では英語の勉強とスポーツを勉強しにいくことが繋がっているとは微塵も思わなかった。 普通の人ならアメリカへ行くためには英語が必要だと気づくけれど、英語が大嫌いだった僕は、英語を勉強することを頭から追い出し、スポーツを勉強しに行くだけだからと都合よく考えていた。

そして、20歳の時、アメリカのカリフォルニア州へ行くことになった。 夢の実現だ。 英語なんてどうにかなる! そんな軽い気持ちで行った。 楽天的というか計画性が無いというか・・・。 勿論、どうにかなるはずも無い。 まずは語学学校へ行くこととなった。

初めは予想通り、1番下のクラスからのスタートだった。 挨拶程度しか出来ず、文法も全く理解できず、落ちこぼれの語学留学生だった。 2週目からは1番下のクラスでもついて行けず、校長室でマンツーマンの授業を受けた。 それほど英語が出来なかった。 

アメリカに留学したからといって英語嫌いが治る訳ではない。 家に帰っても宿題だけ先にやって、あとは何を言ってるか全くわからないテレビを見てるだけ。 しかし、3ヶ月から半年ほど経ったくらいで、先生がゆっくり話す英語が聞き取れるようになってきた。 

カレッジ(短大)で好きな授業を受けたかったので本格的に勉強を始めた。 テレビを見たり、映画をみたり、音楽を聴いて勉強した。 テレビは好きなドラマ「フレンズ」や「フルハウス」、さらにディズニーのアニメーションも沢山見た。 中でも、ドラゴンボールの英語放送が勉強になった。 小学生の頃からずっと見ているアニメで内容はほとんど覚えていたし、キャラクターが言った台詞も何となく覚えていた。 たとえ分からない英語だとしても、簡単に推測できた。

カレッジに入学するためには、語学学校を卒業しなければいけなかった。 ペーパーテストも沢山受けなくてはいけない。 文法の勉強は基礎が無かったため、本当に苦労した。 分からないことを分からない英語で勉強した。本当に辛かった。

「やりたい事をやる!」。 これが僕にとっての英語学習のきっかけであったし、モチベーションでもあった。

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~オーストラリア~

アメリカ・カリフォルニアの留学から帰国して5年。 また海外の暖かいところで生活したいと思い始めた。 そして、ダイビングもやってみたかったことから、ワーキングホリデーの制度でオーストラリアに行くことに決めた。

英語の勉強はちょっとばかりしていたし、何とかなるだろうと思ってオーストラリアへ向かった。

まずは家を探すために不動産を端から聞いてまわった。 電話でも問い合わせたが、英語が通じず相手にしてもらえなかったり、途中で切られたり。 電気やガス会社にも電話で契約しなければならなかったが、生活がかかっていたから必死に相手の言うことを理解しようとし、なんとか事なきをえた。

ハミルトン島でハウスキーパーとしても働いた。 一緒に働いていたのは大半がオーストラリア人で、何を言ってるのかさっぱり分からないこともしばしば。 大まかな内容を理解してなんとかコミュニケーションをとっていった。 そして、生活の中から多くの英語を学んでいった。

オーストラリアではトラブルにも巻き込まれて、やりたかった事が100%出来た訳ではなかったが、そのおかげで体験できた事もあるし、沢山の素敵な人に出会えた。
 

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~今、そしてこれから~

僕は子供が好きなので、子供と関われる仕事がしたいと思っていた。 それが実現して、現在はスポーツクラブのコーチとして子供たちにスイミングを教えている。 冬にはスキー、夏には海。 子供たちと一緒に楽しんでいる。

クラブには、インターナショナルスクール(幼稚園)が授業としてスイミングにくる。 英語だけしかしゃべれない子供たちも多い。 そんなクラスのコーチの仕事ができるのも英語を勉強してきたからだ。

すごく嫌いだった英語。 でも、その英語のおかげで今楽しく、そして沢山の経験ができている。 今は、英語に本当に感謝している。 そして同時に、もっと勉強すればもっと自分にプラスな経験ができるんだろうと思っている。

現在、仕事で英語を使っているが、本当は今以上に英語に触れていたいと思っている。 言葉はコミュニケーションをとる道具の一つだ。 いい物(コミュニーション)を作るためには道具(英語)をしっかり磨かなくては・・・。

これからも英語、特に英会話を勉強して、もっともっと自分の知らない世界を見て行きたいと思っている。

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~ 今の自分と英語~

英語は自分の世界を広げてくれる。 英語を勉強して、使えるようになってマイナスになることは絶対にない。 仕事、交友関係、あらゆる面でプラスだと思う。

これから英語を勉強する人、継続中の人。 人にはそれぞれ、得意分野があると思う。 英語学習においても、文法、単語、リーディング、リスニング、スピーキングなどいろいろの要素がある。 まずは自分の得意分野から勉強するのがいいと思う。 さらに、ある本に書かれていたのだけれど、「現在、本屋には英語学習の本が山のようにあるけれど、沢山の本を買うよりも1冊買って、その著者が提示している『その本を使った勉強法』を実行するのがいい。」という。

今、僕が好きな事を出来ているのは、いろいろと挑戦をして、その中から本当に好きな事、やりたい事を探してきた結果だと思う。

体験は宝!と言われているけど、全くの同感だ。 体験した事が僕の生活にプラスに働いていることは間違いない。

皆さんも、可能であれば様々なことにチャレンジしてほしいと思う。 英語であれ、スポーツであれ、何でも自分が本当に好きなことを楽しんでほしい。 それが1番だと僕は思う。

現地のアメリカ人たちとのやりとりをスムーズにこなす技術

M.A.さん (エグゼクティブサーチ会社 シニアサーチ業務)

大阪府出身。 中学2年生の時、父親の仕事で、アメリカイリノイ州で生活することに。

3年後、日本に帰国し、同志社国際高校へ入学。

大学では教育学を専攻し、卒業後、インターンでアメリカ、カリフォルニアへ。

その後、エグゼクティブサーチ会社に入社し、シニアサーチ業務に従事。 カリフォルニア在住7年目。

現在はアメリカ、カリフォルニア州に在住しています。 エグゼクティブサーチ会社にて、主にサーチ業務を担当しています。 英語を使う頻度は、スタッフとのやり取り以外はほぼ全て英語です。 アメリカでの業務は主に現地企業を顧客としているため、日本語を活かすというよりも、むしろ現地のアメリカ人たちとのやりとりをスムーズにこなす技術、英語でのコミュニケーション能力が絶対的に必要です。 ですから、常にかなり高い英語力が求められています。

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英語力といっても、「生活」と「仕事」で求められるものは大きく異なります。 生活の場合、日系コミュニティーが既に確立されているような地域に住んでいれば、ほとんど英語を必要としません。 カリフォルニアという、多様な文化とコミュニティーが混在する州に住むためには、ある意味で強い意志と努力が必要だと思います。 色々な人種やグループが共存しているがゆえに、お互いに寛大な姿勢が存在しているように見受けられますし、基本的な英単語と文法がわかっていれば、日々の生活はほとんど問題ありません。

一方、仕事における英語力は、私の仕事柄にもよるのですが、事をより深く説明する技術が問われます。 そのため、ビジネス英語の言い回しや語彙はメールのやり取り等でも必要となりますので、分からない単語や表現方法が出てきたら、その都度書きとめ、どのような文脈で使われているかを考える習慣にしています。 たびたび出てくるものに関しては、文の前後も理解し、さらに機会があれば、ネイティブに、どのようなニュアンスで用いられる語彙なのかを聞いておきます。 

現在、この仕事において必要とされる英語力のレベルについては、きちんと文法を使い分けて、適切な文を書けることも重要ですが、書く英語と話す英語(例えばイディオムやカジュアルな表現など)の違いを認識し、その使い分けをできることが大切です。 
私が接する人々はほぼ大半がアメリカ人ですので、私が目指す英語レベルはどうしても限りなくネイティブのレベルとなってしまいます。 日々勉強中です。

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さて、私と英語との出会いですが、それはかなり幼少の頃にさかのぼります。 当時、英語教育自体は今ほど盛んではありませんでした。 それでも地元には英語塾があったので、小学校のころから習い事として通っていました。 子供は言葉を耳から覚えるといいますが、私も全く同じように音から英語に触れました。 その時に、英語の先生から「発音がとても良い」とほめてもらったことが、英語への親しみややる気、そして自信に繋がったのではないかと思っています。

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中学時代に父親の転勤でアメリカに移住しました。 初めのころは、幼いころから学び続けた英語がかなり役立ったと思っています。 とはいえ、私にとって英語はあくまでも外国語なので、アメリカ在住期間には苦労が多くありました。 そして勿論、今でも苦労することがあります。 ですから、何年経っても、私の英語に対する“学び”の姿勢は変わっていませんし、今後も変わらないと思います。

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私は、外国語の習得は、体感することが最も大切だと思っています。 それは、教科書や参考書から学ぶだけではなく、色々なアクティビティーを通して学ぶということです。 その結果、知識が増えるだけでなく、興味の幅や友達も増えますし、楽しみが広がるからです。 英語(その他の外国語)は、自分の興味を追求するための手段であって、目的にならないことが大切だと思っています。 極端な話、私は決して言語学の側面から英語を学んだわけでなく、幼少時に異文化に触れ、そのときに味わったアメリカ文化が自分の一部となり、その延長で今の英語力があると感じています。 「語学力」でなく「英語力」というゆえんもそのためです。 

「英語力」とは、言葉を含むその土地の文化、マナー、人間、歴史などを体系的に理解することだと思います。 英語のみならず、他言語を勉強する上で大切なのは、その文化を心から好きになることです。 学ぶ動機は様々だと思いますが、前述したように、私自身は自らのユニークな経験から、その後の方向性が大きく変わり、視野もぐんと広がったと思っています。 よりアメリカを身近に感じれたことが、現在の自分の「英語力」となっていると思います。

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最後に、自分の経験をもとにしか、英語を学ぶことの楽しさや可能性を語ることはできませんが、私は今の自分があることや自分の人生を、英語ぬきには語れません。 なぜなら、一つ一つの思い出深い出会いや経験が、英語を通して得られたものであるからです。
私はたまたま英語圏でしたが、英語に限らず外国語を習得することは、その文化の真髄を知るために欠かせないツールです。 訳されたものは誰かのレンズを通しての見識にすぎないので、私は自分で理解したいという願望がありました。 そのような姿勢も外国語を学ぶ際には欠かせないものだと思っています。 

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近年、繰り返し国際感覚を身につけることの重要性が唱えられていますが、それはビジネスの世界をはじめ、日常においても異文化や違った価値観を受け入れるための意識改革が必要だからであって、決して日本人としての価値観を脱ぎ捨てることであってはならないと思っています。 私は今も、アメリカに関する知識を深めると同時に、日本文化に対する正しい認識も深まっていると実感しています。 
英語を通して、世の中には文化背景の違いによって様々なものの考え方や見方があることを知ってもらいたい。 そして、より豊かな心と創造力、積極性と柔軟性を養い、今後益々、世界で活躍できる日本人が増えることを期待しています。

「はじめの一歩」は自分の足で踏み出さないと始まりません



袖山陽子(Yoko Sodeyama) さん (保育士)
東洋英和女学院短期大学 保育科卒業。 その後、幼稚園教諭として9年間子供たちとふれあい、
ニュージーランドへ渡航。 約2年間、現地で幼稚園等のボランティアスタッフとして活動。
現地の学校にてTESOL Certificate(児童英語教師)を取得。 
その後、日本に帰国し、横浜の保育園にて保育士として活躍中。 現在、4年目に突入。

~『生きた英語』との出会い~

私が始めて英語に出会ったのは、中学生の時です。 その時は、他の科目と同じように、与えられたものを受動するといった、単なる知識の詰め込み作業のようでした。 
その後も、アルバイトで塾講師、家庭教師などを経験し、教える側に立つこともありましたが、『このフレーズを暗記すれば間違いなし』といった、テストの成績を上げることが第一目標の教え方をしていました。

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そんな私の英語への関心が一変したのは、海外へ飛び出してからです。 旅行で海外に行く機会ができたことで、誰もが帰りの空港で思う、『よしっ、英語を習おう』と、自ら学びたいと湧き出る気持ちから始まり、ついにはニュージーランドで約2年にわたる海外生活にまで発展するほど、私の中での英語熱が高まりました。

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「英語」は、単なる学業向上のものではなく、生きていく上でのコミュニケーションツールです。 そんな当たり前のことが、大人になってようやく分かりました。 人間、必死になればジェスチャーや目力などで言いたいことも何かしら伝わると思います。 ただ、英語が使えるようになると、さらに踏み込んだ世界が広がるのです。

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ニュージーランド滞在中、バスの中で、思い出深い体験がありました。 日本人の私を見るなり、「元気レすかレ~」と声をかけてきた運転手さんがいました。 心の中で、『インド人だからって、カレーに引っ掛けてくるなんて・・・(笑)』なんて思っていたのですが、そんな陽気な彼と、いつも同じ時間のバスに乗っていたことで親しくなり、英語を介してコミュニケーションを持つことができたのです。

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お互いの母国語を教え合うという交流が、私が下車するまでの約1時間ほど、バスの中で日々繰り広げられました。 簡単な挨拶程度の言葉の交換でしたが、彼は、私が教わったばかりのヒンズー語で『こんにちは、ごきげんいかが?』と言うのを聞いて大喜び! 乗車するインド人をつかまえては「ヨウコ、試してごらん!」と、かなり強引ながらに会話の練習をさせられたものです。 ちなみに、彼の日本語の挨拶は「元気ですか?」になってしまい、私としては、お茶目なところだけは残しておけばよかったかな?、なんてちょっぴり後悔もしています。

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こうしてインド人と予想外の場所で交流が生まれたことで、私の中の世界はぐんと広がったような気がします。 異国の地で、体ごとぶつかっていったことで、何かに当たり、多くの知識や経験を得られたのです。 新しい世界を知る喜び、異国の人とのコミュニケーションを通じて育まれる異文化とのつながり、そんないろいろな刺激が、新たな私を作り上げてくれるような気がして、とても嬉しい体験でした。

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私は現在、日本で保育園の先生をしています。 
子どもたちとの生活の中で気づいたことは・・・
「大人が夢中になれること」=(イコール)「子どもも夢中になってしまう!」
誰かが夢中になっていることへの興味から生まれる、つまり、「『知りたい』から始まる『学びたい』気持ち」は持続性も強く、そして年齢など関係なくいつからでも始められるということ。

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帰国後、英語環境からすっかり離れてしまい、私の中の英語はどんどん記憶の彼方へと追いやられてしまっています。 意識して自分で環境を作っていくこと、地道な努力をしていきたい、と思う今日この頃ですが、日々の忙しさに埋没しているのが現状です。
そんな中、気になる学校があります。elifet International Academy
「はじめの一歩」は自分の足で踏み出さないと始まりません。 「忙しい」を理由にしないで自分なりのペースで、再びその一歩を踏み出していきたいと思っています。